コラム:コミュニティとは?ー『コミュニティ・オブ・プラクティス』から考えるー
こんにちは、BUFF事務局の吉野です。
コミュニティマネージャーの学校であるBUFFに携わっていると、普段何気なく使っている「コミュニティ」という言葉が何を指すのか、改めて考える機会が度々あります。
「コミュニティって??」
ひとつの正解がある問いではなく、いろんな答えがあればあるほど、そこから広がりが生まれて面白いのかと思うのですが、今回は、読書会でも扱う著書『コミュニティ・オブ・プラクティス―ナレッジ社会の新たな知識形態の実践』の冒頭に書かれている「コミュニティ」観から広げてみました。
日米間のコミュニティ観の違い
アメリカの著書である『コミュニティ・オブ・プラクティス―ナレッジ社会の新たな知識形態の実践』では、監修者による序文にて日米のコミュニティ観の比較を取り上げています。
日本人
生まれながらの地縁から類推してコミュニティを考える
アメリカ人
自ら選んで参加するボランティア活動のようなものをコミュニティと考える
≠ 誰かから与えられるもの
人種のサラダボウルともいわれるアメリカでは、元々地域という一括りだけではコミュニティとしての繋がりが生まれにくく、自分で選んでコミュニティに参加するということが自然だったのでしょうか?
日本でも、とりわけ都市近郊では、隣近所の顔もわからないことが意外なことではなくなり、顔が見える地域の繋がりが希薄になっているとされる昨今、自ら選んで参加するという形で、新たに繋がりを紡ぐことが必要とされている気もしますね。
「Community」の語源「Communitas」
ここでコミュニティの語源を改めて遡ってみます。Communityの語源はラテン語の「Communitas」。
ラテン語の「munus」には、「贈物、賦課、任務、職、義務、成果、好意、祝祭時の演出」といった意味があり、
ここに「相互の、共同の、共通の」などを意味する接頭辞の「co-」が付き「communitas」。
地縁など環境によって与えられた繋がりであれ、自分で選んで飛び込んでいく繋がりであれ、
「お互いに(co)与え合う(munus)」意識を持った人同士の関係性というのが、コミュニティの核ともいえそうです。
BUFFではコミュニティを切り口にいろんな形で皆さんと交流し、話し、考え、深める機会を提供しています。
気になる方、是非気軽にBUFF「コミュニティ」に参加してみてください!